教話「二つのおかげを伝えましょう」

これは、2020年2月9日の布教祈願祭のお話です。

◇布教とは、何を伝えることでしょうか。

☆布教とは、教団の勢力拡大を目指すものではありません。
☆布教するということは「神様のおかげ」を伝えて、幸せになっていただくことです。そのおかげは、二つにわけて考えることができます。それを1873(明治6)年の御神伝から見てみましょう。

 

【御神伝】
 天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺社、氏子の家宅、みな金神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受け。氏子、信心いたしておかげ受け。今般、天地乃神より生神金光大神差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたし候。

 

1.生かされて生きていること(赤い部分)
☆前半部分は、難儀のもとを説明しているようですが、裏を返せば、人間は神様のお土地に住まわせて頂き、天地の間におかげを受けて生かされている、ということをおっしゃっています。人間は、神様に生かされ、神様の愛情を受けているということです。
☆このことを知ると、人間は自分のいのちの尊さを知り、神様とつながる安心感が得られます。そのことを知らずに、神様と切れた生き方をしているから、難儀が生まれるのです。神様はそのことを人間に知ってもらいたいと思っておられるのです。

 

2.お取次によって助けて頂けること(青い部分)
☆後半部分は御取次の働きをもって、おかげを受ける道が開けたことさしています。
☆お取次のおかげで、私たちの願いが神様に聞いて頂けるようになりました。おすがりすることができるのです。ただし、願わぬ氏子はおかげを受けることができません。それは、こちらに信心させてもらうという気持ちがなければ、神様は助けたくても助けることができないからです。神様が「信心すれば助けてやるぞ」とおっしゃっているのではありません。
☆一方的に聞いて頂くだけでは十分ではありません。お願い信心では難儀が繰り返します。
☆そこで、人生丸ごと助かるように(「末々まで繁盛」)、神様の思し召しに沿った生き方を教え聞かせてくださるわけです。だから聞く耳を持たないともったいないです。これは教会でのお取次でも同じことです。
☆「氏子ありての神」と言ってくださるのは、神様は人間がかわいくてかわいくてしかたがない、助けたくて助けたくてしかたがないということです。ですから、私たちがおかげを受けると、神様も私たちも助かり立ち行くことになるのです。

★生かされて生きている喜びと、お取次ぎを頂いておかげを頂く喜びを、周りの人にお伝えしましょう。