これは、2020年3月1日の月初め祈願祭の教話です。
【コロナウイルス流行の中、めいめいに信心すること】
☆今社会はパニックになりかけています。どういうウイルスかわからない、どこまで広がっているのかわからない、どうなっていくのかわからない、という不安があります。
☆教祖様の時代も、激動の中、不安が多い時代でした。そこで教祖様は「何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ」と教えられたのです。
☆めいめいが生活の中心に神様をおき、神様に祈りつつ、冷静に物事を見、われひと共に助かるように行動するということが大事だと思います。
☆「めいめいが信心する」ことの一つとして、湯川安太郎先生のお話を紹介しましょう。
【湯川安太郎先生(初代玉水教会長)のお話~願いを立てることの大切さ~】
私が神さまにお願いしている心は「こうと思っていったん願うたら、どうでもこうでもおかげくださらにゃ承知しません」という思いです。たとえ「おかげはやらん」と言われても、「それでは仕方ございません」と言うてはおれんのです。私たちはどうでもこうでも助けていただかんならんのですからな。どうでもええというのなら、願う必要はない、願わんでよろしい。願うた以上は、願いどおりにしていただかんことには承知しないという意気込みです。たとえば「明日は雨か日和か」と言われたら「さあ?」としか言わん。「明日はこれを干しますのでぜひ天気に」と言うなら、「よっしゃ」といける。「先生、明日これを干さにゃ腐りますが」では、お願いではないから受けられん。(略)あんたらでも、子供がなんやらわけのわからんことをくしゃくしゃ言うてたら、難儀しやはりますやろが。「なんやねん、この子は?何をそんなにくしゃくしゃ言うてるねん。何がほしいか言うてみなさい」と聞くようなものです。(略)神さまには無理を言うにかぎります。無理を言わんのは間違うてます。何でもかでも無理さえ言うたら、ものになる。(略)信心したら無理を言うんですわ。手元を考えて「これは無理やろなあ」と思うたらいかん。(略)人間が神さまに無理言うのは、当たり前とちがいますか。力のない人間なんですから。無理を言うたら、神さまも喜ばれる。無理言わずに自分勝手するから、神さまを困らせるのです。(『湯川安太郎信話』第十六集)
☆「おかげはわが心にあり」です。願望や状況報告では、わが心が立ちませんから神様に通じないのです。「無理だろう」と決めてかかるのは、自分でやろうとしていることであり、神様を見くびることですから、おかげにならないのです。
☆私も改まろうと思っています。願う時に「なんとしても」と一言加えて祈ることにしました。「なんとしても、これこれのおかげを蒙らせてください」と。どうぞ、みなさんもやってみてください。